高橋美衣 - Interview
April 18, 2026
高橋美衣は、⽇々の中で書き溜めたドローイングを起点に、ペインティングや⽴体作品を制作するアーティスト。
そこにあるのは、明確な意味やメッセージを伝えることを⽬的とした表現ではなく、作家⾃⾝が⼼地よいと感じる、⾔葉に置き換えることのできない感覚です。その率直な感覚に⾝を委ねることで、作品にはどこか軽やかで伸びやかな空気が宿ります。
今回は、5月2日よりはじまるJohnでは2度⽬となる個展「⼿の中の抽象」の開催を受けて、高橋さんが抽象立体を作り続ける意義を探りました。
作品を作り始めたきっかけを聞かせてください。
高校生の時に、家具や雑貨、印刷物(ポスターなど)を集めるのが好きになり、将来的にお店を開きたいと思っていました。 地元の札幌では海外の素敵な調度品を扱う個人経営のカフェや雑貨店が多く、特にチェコやポーランドのような東欧の素朴な雑貨を置いているお店がすごく好きだったんです。そういう環境もあって、自分でもお店をやりたいと思いながら大学進学を考えたときに、まずは自分が作る側になると、物を見る目も養えるのではないかと思って、美大を目指すことにしました。北海道には美大がなかったですし、いろんなものや文化に触れられる環境に行きたい気持ちもあり、上京して横浜美術大学の工芸科に進学しました。
始めから作家になりたいという訳ではなかったのですね!大学ではどのようなものを作っていたのですか?
主に木工と漆を勉強していました。家具を作ったり、木のろくろで器を作ってそこに漆を塗ったり、カトラリーを作ったりしていました。美術自体にはそこまで興味があるわけではなかったし、芸術家になるのはどう考えても不安定だと思っていたので当初は全く考えてなかったです。(笑) ただ、勉強の一環で色々な美術展を見るようになり、ある展示でアニッシュ・カプーアという作家の、ステンレスでできた小さくてシンプルな抽象彫刻に衝撃を受けました。そこから見よう見まねで、抽象的な作品を作り始めましたね。
アニッシュ・カプーアの彫刻はつるっとしたフォルムが印象的ですよね。何かそういうものに惹かれてインスピレーションを得ることが多いのですか?
そこが結構難しくて。制作する際にいつも思っているのですが、表現したいものを言葉で表すのが難しいからこそ作品を作ってるところがありますね。「気持ちいい形」が好きで、例えば、クッキーやケーキのこの厚みと大きさのバランスがなんか良いとか、断面の角度が綺麗とか、それこそ椅子のアームの形が滑らかで良いという感動とか。日常の中にある、言葉にするには至らない「なんかいい」と思う感覚を作品で表現したいと思っています。
フェチズムを感じる部分を物体化させてみるという感覚ですかね? やっぱり「美」を感じるのは何気ない瞬間で、日常の中にたくさん潜んでいますよね。
そうですね。美術作品だと、意味やメッセージ性があるものが多いと思いますが、 私はあんまりそういうのを考えて生きていなくて。感覚的で良いと思うんです。 理由なく取っておきたいものや覚えておきたいことなど、自分が良いと思ったものに価値があると捉えているので、その感覚を大事にしています。 初めは、家具や器などの用途ある作品を作ってたんですけど、用途はなくとも、ただ気に入ったものを眺めたり集めたりすること自体に、贅沢さや豊かさがあると感じるようになりました。 抽象的なものだとなおさらそれが強いですよね。 例えば、「犬を飼ってるから犬の置物が欲しい」とか、「お花が好きだからお花のモチーフのものが欲しい」とか、それは意味があるじゃないですか。でも、「なんかいいな」という感覚は、無理に言葉にする必要がない。 しかも、私が誰かにそういう感覚を伝えたいというよりは、単純に自分が作りたいから作っているという感覚です。
「なんかいいな」をそのまま形にしているので、あまり意味はないんです。

意味を追求せず、「ただ作りたいだけ」というスタンスが一貫していて興味深いです。
大学にいる頃は、作品を作る前にコンセプトやアイデアをしっかり固めて制作し、講評してもらうという流れがあり、とにかく意味を求められることが多かったんです。言葉にしようとするとしっくりこなかったりして、それに苦しんでいました。コンセプトがあるものを作らなきゃいけないんだと思って考えた時期もあるんですけど、やっぱりそれは自分にとってリアルじゃないな、と。今は、大学時代と違って自由に作ることができる環境なので作った後に、作品の解釈を考えてみたりすることもたまにあり、強いて言えばそれがコンセプトになるんだと思います。
言語外の感覚から生まれる作品だからこそ、解釈への余白や自由さが生まれたりしますよね。 高橋さんの作品って独特の軽やかさがありますが、意味やコンセプトで固められていないからこそ受け取れる作品の印象なのかなと思います。
「こうあるべきとか、こうしなきゃいけない」というのは全部なしで、頭で考えすぎないように。 それは制作においても、人生においてもそうですね。こだわりをもちすぎないようにしています。
制作をする時は、設計図などは作らないのですか?
作品を作るときは、手癖で作ったり、色々な形のドローイングを最初に描いてその中から気に入ったものを作ったりもします。ドローイングを描く時も無意識で出てきたものを拾う感じで、考えすぎずに描いていますね。


制作も感覚的で高橋さんらしさを感じます。今回の展示では陶器の作品を揃えてくださっていますよね。 今まで木工や漆など様々なメディウムで制作をされてきたと思いますが、なぜ今は陶器なのですか?
木で何かを掘るよりは、粘土や発泡スチロールが自分の制作には合うと思いました。ただ、それぞれ素材の硬さも違いますし、形の特徴や仕上がりのニュアンスはだいぶ変わります。大学在学中から卒業後しばらくまでは、発泡スチロールを芯材に漆で麻布を固めて形を作る乾漆(かんしつ)という技法で、抽象的な作品を制作していました。当時は他の手法を知らなかったこともあり、最後に表面を漆で塗って仕上げるやり方を続けていたんです。でも、発泡スチロールは少し扱いにくい。その上、次第に表面の仕上げに漆を使わなくなり、乾漆で作った形にカラフルな塗料を吹き付けて仕上げるようになっていきました。そうするといよいよ、発泡スチロールと漆で土台を作る意味を見失っていき...。ちょうどその頃、夫の母が彫刻をしている縁で焼き物の手法を教えてもらい、粘土で形を作って素焼きし、そこに塗料を吹きかけるという形に制作も変わっていきました。現在は、素焼きしたあとに釉薬をかけて本焼きをするという形をとっています。陶器で作品を作り始めて5-6年ですが、今も勉強しながら作っている感じです。

今後は他のメディウムを使う予定はないのですか?
そうですね、陶器は結構面白いなと思っています。
というのも陶器の場合は、作品がもつ雰囲気が何十年、何百年先まで残ることがわかってるじゃないですか。 それが魅力だと思っているんです。以前までの作り方だと、形は残るのかもしれませんが、絶対にそのうち塗装が剥げて色も変わってしまう。それまでは、「その時良ければいい」という思考で制作をしていましたが、だんだん自分がいなくなった後のずっと未来まで残ったら面白そうだという感覚が沸いてきました。そういう心境や視点の変化をここ1、2年で感じています。
確かに、それは現代を生きるアーティストの大事な観点としてよく語られますよね。
はい。大学で勉強していた段階でもそんな風に言われてきたんですけど、その時は、そんなことどうでもいいと思ってたんです。でも、だんだん「確かにそうだな」と思うようになってきて...私の作品がずっと遠い未来でどこからか急に出土したら面白いなって。(笑)
面白い!(笑)
なんかそういうことを考えると、素材は大事ですよね。
以前は「点」で生きてた感じがしますが、今は「線」で考えるようになってきたというか。大人になったのかな...みたいな。(笑)
そういう感覚、共感する人も多いと思います。人生観の変化も作品に反映されているのは面白いです。今回の展示では、作品をあえて小さくして、価格も手に取りやすい様に設定されていると伺いましたが、「アートを買う」という体験が広がることは高橋さんにとってどんな意義があるのですか?
私はもともと美術に興味なかったですし、美術大学に入って美術館などに色々な展示を見に行き始めた時に、「分かる人にしか分かんないようにできてて、なんか腹立つ!」と思ってたんですよ。 でも、それも悪くないというか、別に分かんなくても良いし、いろんな楽しみ方があると思うんです。意味がないものや、自分には理解できない物があること自体悪くないんだなという視点を得るきっかけになったらいいなと思います。つまりは、「分からない物」に対してのハードルを下げたいという感覚ですね。
例えば、私が作品の展示をしてると、外国の方が急にフラッときて「なんかこれめっちゃいいね!」って、フィーリングで作品を買っていったりすることがあるんですよ。そういうノリとか、自由さで自分の感性が喜ぶものを手に取ってもらえるようになったらいいなと思っています。
なるほど、抽象は具象よりも先入観なくフィーリングを引き出せる表現ですよね。
そうですね。でも、抽象的な立体を作っている人は本当に少ないので「可愛いけど、これは何なんだろう」って戸惑いながら私の作品を見ている人が多い印象があるんです。 だからこそ作品を小さくして、「なんかいい」という感覚を少しでもキャッチできた時に、気軽に手に取れたら「家にアートピースを置くのもありだな...」という気付きを作れると思うんです。特にJohnに来るお客さんは、インテリアや生活の道具が好きな方も多い印象があるので、アートピースを生活に置く体験を提案できたら良いなと思います。ただ、押し付けにはしたくないので、無理のない範囲で化学反応が起きたら嬉しいです。

なんだか、気に入った石を拾って家に置いておく感覚に似てる気がします。
本当にそういう感覚で構わないんです。
それでいうと、私も高校生の時に石をたくさん集めてて、 上京の際、自室に石のコレクションを置きっぱなしにしてしまったことがありました。 すると、家族にすごい怖がられてしまって。(笑) ただ好きで集めてただけなのに「何に使ったの?」としつこく聞かれたんですよ。それもいいんですけど、そうやって理解できないものを目の前にした時に、自分が知ってる機能や物の中に近しい要素を探して安心しようとするのが、なんだかもどかしく感じてしまって。例えば、私が作品にタイトルを付けたり、モチーフを明言すると途端にそれ以上でもそれ以下でもなくなってしまう気がするんです。なので、あまりタイトルは付けたくない。それは突き放している訳ではなくて、自由に見てもらいたいし、本当に意味のないものだからなんです。
もちろん仕事や生活をしていく中で一つの正解を導き出すというのは、必要な能力ではありますよね。 だからこそ感覚的になれるものがそばにあると心の余白になって、より豊かな視点で世界を見ることができそうです。
そういう能力って大事で、だからこそ、曖昧なことはあまり良しとされにくいですよね。 私は、曖昧な状態って楽しいと思うんです。はっきりした理由ではなく、「なんとなく」という感覚。
そういう新しい心の動かし方を一つ提案できるのは素敵ですね。今回はどんな展示にしたいですか?
今お話ししたようなことがテーマではあるんですけど、私の中では、自分の作品の一部をさらに抽出するようなイメージを持っています。作品が小さいからこそ、要素をさらに削ぎ落としてみたり、今後の制作に向けたドローイングやアイデアスケッチのような感覚で、私自身が新たな発見をしていく作業を積み重ねていきたいです。それが、また作品として形になっていったらいいですね。
あとは、たくさんある中から選ぶって楽しいじゃないですか、それこそ石拾いみたいに。なのでなるべく多くの作品を用意して、見る人がワクワクするような空間にしたいと思っています。
最後に、展示にきてくれる人へ一言いただけますか?
私の作品は、そんなに意味があるものでもないですし、崇高なものでもないんです。身構えずに、先入観なく、 感覚的に見ていただけるのが一番いいのかなと思っています。ラフなスタンスを向けてもらえると私的にはとても嬉しいです。
アート作品って崇高なものじゃないというのは、なんだか間口が広がるような捉え方ですよね。
私の作品の根源は、日常の中に普通に存在する感覚なので、何気なくアートと向き合うきっかけとして見てもらうには良い展示になるのではないでしょうか!
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⾼橋美⾐ 個展「⼿の中の抽象」 2026 / May 2 - 10, 2026
2026/ 5/2(土) - 5/ 10(日)
11:00-19:00
展示詳細はこちら。
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